今は無きKI店のダイバーズの横の島にクランキーコンドルなる台があった。筐体のデザインはかっこよく打ってみたいが、ちと怖い感じというのが第一印象か。
高校時代もはや2年生クラス内のパチスロ熱はすごく、ロッカーの上にはスロ雑誌が散乱しているありさま。当時の攻略雑誌にはクランキーコンドルの技術介入による攻略が盛んで、私も見よう見真似て駅前のJB店で実践したのが、俗に言う「技術介入時代」の幕開けであった。
「リプレイハズシ」・・・意味はすぐ分かった。初めてJB店でリプレイハズシをした日を今でもはっきり覚えているが、ちゃんと取りきっていたかはさだかではない。
「DDT」・・・俗に言う通常時の子役狙い。当時、店内でも実践していたのは私のみ、もしくはごく少数だった。
この二つの攻略要素で人に差をつけたかった。パチスロの腕が2コマ目押しなら、ほぼノーミスという段階まで一気に成長する。1年ほど付き合っていた女性と別れた事もあり、「コンドルは俺の彼女」とまで言うくらいにのめり込んだ。上段青7テンパイが世界で一番大好きだった。そしてホールの中で俺が一番うまいと思い込んでいた時代だった。
しかし最初の頃は、収支は付けてない物の思ったほど結果は出なかったと思う。今考えれば原因は簡単なことだ。技術介入機に体は対応できるがいかんせん、高換金率での長時間粘りというのがなかった事だ。
コンドルは勝てると印象が決定的になったのは、少し離れた8枚交換のKO店。高校3年の末(1998年)1月より現在まで毎日欠かさずギャンブル収支を(当時は手帳今はPCに)付けているが、ここからコンドルでほぼ毎日連戦連勝になる。とあるKO店のクセを知ってしまった事にあるが、内容はいたってシンプル。
朝一コインを入れてチャラチャラとコインが
こぼれる音がしたら高設定
たったこれだけ。様は店員の仕事を減らすために高設定には初めからコインを満タンにしておくという事。後は3年最後の長い春休みを利用して朝から長時間打つというだけ、いたって簡単だった。ちなみに今明かすがこのネタは誰にも教えませんでした。みんなスマン!
2度目のパチスロバブルが押し寄せた時代でした。勝負事には必ず付け入る隙がある・・・
2006年3月このblogにも書きましたが東京のG店でお別れをしました。みなし機撤去という現実は仕方がないのですが、やはり寂しさは隠しきれません。
クランキーコンドルはパチスロの母ですな。
あーもう!これ書いていたら昔ダッチの家にあった、プレステのパチスロゲームをやりたくなってきた!なんかテンポのいいBGMのアレだよアレ!
クランキーコンドル
メーカー:ユニバーサル販売
(現アルゼ)
タイプ :A-400 4号機
打った期間
1996~2000年・2006年
第二章「クランキーコンドル編」 完
あの時代私が打ったこの一台 第二章「クランキーコンドル編」
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以下より本編になりますので、ゆっくりしていってね (*'ω'*)
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