「むかしーむかしーうらしまがぁぁぁ~♪」
その瞬間何が起こったか正直分からなかった。ただただ緑色の丸い絵柄が揃って急に流れたのがこのサウンド…。そう、人生初のBIGボーナスである。
高校一年15歳の冬、ちょっと興味本位で立ち入った異様な雰囲気のKI店のスロコーナーを今でもはっきり覚えている。冒頭にも書いたとおり訳が分からずボーナスを消化したのだが、下皿に排出される大量のコインはまるでベガス気分だった。
あの時の千円で緑の絵柄が揃っていなければ・・・
クラスの皆を巻き込む事はなかったかもしれない・・・
この日を境に当時一緒に自転車で登校してたYと専らパチスロ話ばかりになる。
しかし・・・勝つことは稀で新聞配達で稼いだバイト代はすぐすっからかんになってしまう。それでもリーチ目が出た時、首を上下に縦に振って、目押しの練習をする毎日が楽しくて仕方なかった。そのおかげで自分で揃える事に快感を覚え、みるみる上達していった。コレだけは言わせて思うがスロを始めた当初は回転リールはまったく見えませんでした。この時期で基礎をしっかりやったからこそ今があると自負している。
初めてパチスロが喰えると思ったのもこのダイバーズである。
高校2年の夏休みKI店の常連と連れ立って毎日毎日モーニングを取った。モーニングとは朝一に店側の仕込みで数台BIGが当たるように仕込んであって当時ではどの店も実施していたサービスである。
今考えればエグイやり方だが、まっつあん4種の神器(ポケベル、ライター、タバコ、後一つは忘れた)で台を4台確保するのである。コインは前日の持ち帰り品なんで投資コストは皆無。今考えたら卑怯の馬鹿野郎だが、私を含む常連8人はみな暗黙の了解で同じ事をやっていた。
ダイバーズコーナー16台、クランココーナー16台に各4人ずつスタンバイで各島には4台ずつモーニングがあるので全員がほぼ毎日取って、1万円(700枚ぐらい)に達したら10枚ポケットに入れてすぐやめる。そんな立ち回り。不思議な話だがこの立ち回りで呑まれる事はほとんどなかった。
この夏休みだけで35万の荒稼ぎで自宅の机の袖机中段は万札で溢れ替えり、汗水流してバイトをする友人がとても小さく見えた。友人タツヲとよく行っていたのだが、あいつもCRギンギラパラダイスで良く勝っていた。それも今覚えば不思議だ、あの時は若かったなとつくづく思う。
その後はどんどんクラスメイトを巻き込んでホールに通うようになる。
もし、あのBIGが無ければ人生が変わってた人もいるかもしれませんね。
こんなサイトを見つけました、久々にBGMを聞いた時は正直涙が出そうでした・・・
http://www17.ocn.ne.jp/~sarinfo/index.htm
「むかしーむかしーうらしまがぁぁぁ~♪」
ダイバーズXX
メーカー:山佐
タイプ :A-350 4号機
打った期間
1995~1996年
第一章「ダイバーズ編」 完
あの時代私が打ったこの一台 第一章「ダイバーズ編」
こんにちわ (・ω・)ノ まっつあんことゴルフ咲夜の趣味ブログです
今日も見に来ていただいて本当にありがとうございます (#^.^#)
↓ にほんブログ村・人気ブログランキングに参加しました
こちらを応援クリックいただけると嬉しいです
以下より本編になりますので、ゆっくりしていってね (*'ω'*)
★★★★★★★★★★★★★★★★